アウシュビッツ強制収容所~見学編~

32ヵ国目 ポーランド

アウシュビッツのツアーに参加

アウシュビッツ強制収容所まで

朝8時、

ピックアップ場所のホテル前に向かいます。

送迎のバンには

ガイドとその他10名程のツアー客がいました。

車内にてアウシュビッツに

関する資料映像が流れるので

予習することができますが、

英語が苦手な方は

事前に概要を押さえておくと

良いと思います。

第一強制収容所

飲食物は持ち込めない

現地に到着すると

ガイドから注意事項がありました。

「我々は被害者をリスペクトして

食べ物も水も持ち込まない。

何も食べることができず

飢えて、衰弱して死んでいったものがいるのだから」

皆食料をバンに残し

ガイドの後に続きます。

入場ゲート

第一収容所の入口には

このような看板が掲げられています。

ARBEIT MACHT FREI

(働けば自由になる)

ここで強制労働させられていた人々は

この言葉を信じて、

一生懸命働いていたようです。

自由を手に入れる為に…。

しかし、

働いた後に待っているのは

ただ1つ。

だけです。

概要の説明

ガイドに連れられて

各種バラック内の

展示について説明を受けます。

その中でも印象的な話しがありました。

当時12歳だった少女は

選別の時

17歳と年齢を偽り

(老人と子供は問答無用でガス室送り)

ガス室送りを逃れ

なんと現在もなお生きているとのこと。

悲しい過去の出来事と思っていましたが

この話を聞いて

この悲劇は

今もまだなお続いている

ということを実感しました。

倉庫カナダ

ここへ連れてこられた人々は

選別時にすべての所持品を取り上げられます。

そして所持品は倉庫に集められて

使えるものを仕分けしていたようです。

戦時中で物がない中

ここだけはたくさんの品物で

あふれかえっていました。

当時はカナダが裕福な国の象徴だったので、

これらの倉庫は

カナダ

と名付けられていたようです。

失われた三つ編み

展示物には髪の毛もありました。

彼らは選別時に

所持品をとられるだけではなく

髪の毛もすべて切られていたようです。

展示されているものの中には

三つ編みに結われた髪の毛を

そのまま切り取ったものもありました。

遺留品と命

そのように収容者の人々は

すべての物を奪われてしまいました。

大量の鞄

大量の眼鏡

大量の陶器類

そして、

大量のくつ

ツアー客は

まじまじと展示物に見入っています。

そんな僕らに向けて

ガイドが後ろから

ぼそりと言います。

「One pair of shoes was one life」

「一組の靴が一つの命でした」

…。

…。

先ほどまでは壮大に積まれた

靴の山を眺め

多くの犠牲者がいたんだな

と考えていましたが、

この瞬間

実際に言葉にして言われたことで

実感がわき。

とても耐えられない気持ちになりました。

収容者の生活

彼らは過酷な共同生活を送っていました。

三段ベッドで寝起きを行いますが、

1つのベッドを複数人で使っていたようです。

また、当時のバラックには

床がないので土の上にベッドが置いてあり、

常に泥だらけでした。

雨が降ると屋内でも

水が溜まってしまったようで、

彼らは自ら地面を掘り

排水路を作ったとのことです。

ガス室

その後ガス室を見学します。

暗い空間に偽物の

シャワーヘッドが付いており

収容者を死の直前までだましていました。

定員まで人間を入れた後に

天井の小さな四角い窓から

毒ガスの缶を入れて

虐殺したとのことです。

ちなみに焼却炉もすぐ横に設けられており

監視約の収容者が

同胞の収容者の遺体を

坦々と焼いていったとのことです。

第二強制収容所ビルケナウ

続いてバンに戻り

第二強制収容所に移動します。

我々ツアー客は

ガイドに続き

引き込み線の線路を

奥に向かってひたすら歩きます。

貨車

線路の途中には貨車が展示されています。

この貨車に人間を押し込んで

移送していたようです。

窓もなく

食料も取れず

トイレもない。

夜通し移動するのに

座ることすらできない。

東京の満員電車よりも過酷な物に

何十時間も乗っていたと

想像するだけで

胸が痛みます。

記念碑

一番奥には犠牲者の為の

記念碑があります。

各国の言語で

追悼の言葉が記されています。

破壊されたガス室

最後にガス室の跡地を見学します。

ナチスドイツは証拠隠滅の為に

各施設を破壊して去ったようですが、

ナチスの撤退よりも

ロシア軍の進軍が早かったようで

このガス室は

完全には破壊しきれなかったようです。

まとめ

僕はここで戦争の悲惨さや

人間の悪の部分

無力さ

様々なものを同時に

再確認しました。

私たちが

様々な人種や考えから

成り立つ社会で

生きていく以上

争いをなくすことは

難しいかもしれません。

それでも

この悲惨な歴史を

死んでいった人々の死を

無駄にしないためにも

今を生きる私たちが

次の時代を生きる子供達に

伝えていかなくてはならないと思います。

そして

いつか

全人類が

過去から学び

皆が手を取り合う

平和が訪れることを

切に願います。

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