アウシュビッツ強制収容所~概要編~

32ヵ国目 ポーランド

人類の負の歴史

アウシュビッツ強制収容所。

詳細は知らずとも

ここでなにがあったのか

知らない人はいないと思います。

今回は

ここで起きたことを…

歴史を…

戦争を…

人間を…

死を…

命を…

学びにやってきました。

同じ過ちを繰り返さないためにも、

まずはこの事実を

知る必要があると思います。

その情報伝達に

少しでも力添えできるよう

僕の経験も記事にまとめておきます。

多くの人が

この事実を理解して

後世に伝えてほしいと思います。

アウシュビッツ強制収容所とは

念のため悲惨な歴史を

おさらいしておきましょう。

かいつまんで書いていくので、

詳細は是非ご自身で調べてみて下さい。

時代と場所

第二次世界大戦中の

ポーランド南部の町、

オシフィエンチム。

(ドイツ語名はアウシュビッツ)

ここに

ホロコーストの為の

強制収容所が建設されました。

最悪の政策

ナチス・ドイツによる

アーリア人至上主義により

(優秀な人種である彼らアーリア人のみをドイツに残し、

それ以外の劣等民族を国外に追い出すという考え)

いわゆる

ホロコースト政策(絶滅政策)

が行われました。

ドイツ国内に他人種を入れたくないため

当時占領していたポーランドに

収容所を作ったようです。

ホロコーストの対象

まずは多くのユダヤ人が対象となりました。

それもドイツ国内だけではなく、

ヨーロッパ中から集められたようです。

他にも

政治犯、

ジプシー、

精神障害者、

身体障害者、

など、

彼らが劣等人種と思う人間を

次々にアウシュビッツを含む

各地の収容所送りにしたようです。

具体的に行われたこと

移送

ドイツ国内だけではなく

ヨーロッパ中から

生きた人間を

貨車に詰め込んで

運んできたようです。

何時間、

何十時間、

何日も、

水も食料も与えられずに

満員電車のように

立ったまま運ばれていったようです。

その為

収容所に到着する前に

亡くなる人がたくさんでたようです。

選別

収容所に到着すると

選別

が始まります。

当時は戦時中である為、

多くの労働力が必要だったようで、

選別

の結果選ばれた者は

労働力として

しばらくは強制労働をさせられながら

生かされていたようです。

しばらく…です。

どんなに働いても

新しい労働力が手に入るので

次々に切り捨てられます。

大量虐殺

選別の結果、

不合格の者は

すぐに

ガス室送り

にされたようです。

老人や子供など

労働力にならないものは

即ガス室送りでした。

そこでは

シャワーを浴びるとの説明がなされ

皆すべての持ち物(衣類を含む)

を回収され

シャワー室という名の

密閉された室内に移動させられます。

その後

毒ガスの缶を投げこまれ

殺されたようです。

記録には残っていないようですが、

送られてくる人間が多すぎて

選別

すらせず、

何も記録も残さず、

そのままガス室送りにされた人々が

たくさんいたようです。

忘れないために

負の世界遺産

恐ろしい地獄のような出来事が

同じ人間によって行われていた

アウシュビッツ強制収容所。

二度とこのような

過ちを起こさないように

との思いを込めて

世界遺産に登録されています。

日本では

負の世界遺産

として有名です。

映画

ホロコーストを対象にした

映画がたくさんあります。

戦場のピアニスト

シンドラーのリスト

などが有名です。

アウシュビッツ強制収容所を

訪れ機会がある方は

是非一度観てみてください。

まとめ

さて今回は

アウシュビッツの悲劇の

概要だけで

長くなってしまいました。

僕が実際に

見学した内容は

次回書きたいと思います。

 

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