戦争の爪痕が残るセルビア

39ヵ国目 セルビア

戦争、民族、宗教、政治、対立の先にあるものは

東欧には戦争の爪痕が

残っている街が多いです。

ここベオグラードにも

戦争の暗い歴史が

街中に残っていました。

カレメグダン公園

ドナウ川とサヴァ川が交わる場所にある

この公園は紀元前から

つくり始めた要塞が元になっているようで

時代の変化と共に

要塞として

重要な立場にあったようです。

現在は広大な敷地の公園になっていますが、

要塞だったころの城壁や施設が

部分的に残っています。

軍事博物館

公園内には軍事博物館があり

第二次世界大戦時の

戦車、大砲などの兵器が

屋外に展示してありました。

ポーランドでも

屋外に兵器が展示してありましたが

やはりガラスケース内や

屋内に展示されていないと

生々しいですね…。

恐竜パーク

なぜか巨大な恐竜の模型が

たくさん置いてあるエリアがありました。

子供向けなのでしょうが

見学している人はいませんでした。

セルビア人とアルバニア人

NATOによる空爆ビル

ベオグラードの市内には

コソボ紛争時にNATOによって

空爆されたビルが

そのまま廃墟として残っています。

カレメグダン公園が戦争を学ぶ

学校であれば、

空爆されたビルは

実習施設といったところでしょうか。

戦争の悲惨さが

そのままの形で残っています。

コソボ紛争

コソボ紛争について簡単に

触れておきたいと思います。

複雑な歴史がありますが、

セルビア国内のコソボがあるエリアには

多くのアルバニア人が住んでいます。

人種や言葉、宗教も異なります。

よって独立運動が起きました。

しかし、セルビア側から言わせれば

セルビアという国がそのエリアから

誕生したという重要な場所です。

お互いに譲れず

テロや嫌がらせなど

国民同士で小競り合いをしているうちに

戦争になってしまいました。

この騒ぎを収めるために

アメリカを中心としたNATOが参戦し

ベオグラードを空爆、

それにより一応戦争は終わり

2008年にコソボが独立して国になりました。

セルビアは戦争に負けましたが

コソボ独立は認めていません。

しかし日本を含む111ヵ国が

コソボを国として認めているようです。

セルビア人の怒り

セルビア国民議会の

議会所の前では反米…

というよりは

ビル・クリントン

ヒラリー・クリントン

そしてNATOに対して

抗議の幕が張られており

殺伐とした雰囲気が漂っていました。

セルビア人が悪いのか

アルバニア人が悪いのか

いったい誰が悪いのか

僕にはこの問題に対して

善悪の判断はできません。

ただ一つわかることは

その争いによって

多くの血が流れるということ。

そしてそれは

とても悲しいことです。

それしかわかりません。

まとめ

ここセルビアでも

戦争や紛争の傷跡を見てきました。

人間はどうしてもグループに

分かれてしまいます。

人種や宗教はもちろんのこと

民主主義や社会主義。

もっと細かいところでは

スポーツが好きな人や

マンガやアニメが好きな人。

グループに分かれてしまうことは

しょうがないと思います。

だからこそお互いが

お互いの意見を尊重しながら

うまく距離をとって生きていく。

それができれば真の平和が

訪れるのではないでしょうか…。

…。

…。

まぁそれができないから

いつの時代でも

争っているのでしょう。

そして

悲しいですが

それが人間なのでしょう。

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